— その『涙の理由』は「優しい私」の指さし確認では? ~感情のデフレ化はどこかヤバイ:日経ビジネスオンライン (via yuco) (via jacony) (via kml)先日テレビで、葬儀の司会のコツを教えていた。
局のアナウンサーと、そのみちの本職が原稿の読み比べをするという趣向だ。まず女性アナウンサーが、抑揚をつけて原稿を読み上げた。いかにも弔いの気持ちを込めましたというふう。原稿を膝元に下ろすと、ギャラリーから拍手が起きた。噛んだり、よどむこともなく、できばえは満点。
番組の進行役が「どうですか」と尋ねると、「うまいですよね」とプロ。「でも、上手じゃないほうがいいんですよね」。
いま以上にうまくやれるの。だったら、お手本を見せてもらおうじゃないかと、本職の彼女に視線が集まる。
姿勢が違っていた。アナウンサーは、カメラに顔が映るよう、しっかり正面を向いていたのに対して、うつむきかげん、前髪が目を塞いで、ちょっと「貞子」ふう。ゆっくりと言葉の間をとる。
とつとつとした口調に、先ほどとは打ってかわって、居合わせた全員が聴き入ってしまっている。ワタシもひきこまれた。
文章でいうと「、」のアキが効果的だった。
「感情を込めない」のがコツだと本職の女性はいう。説明もまた淡々としてフラット。それでも無表情な響きには、アナウンサーの巧さには「ない」ものが、あった。
まるで感情のこもらない「、」の隙間だからこそ、聴き手はイメージを膨らませるノリシロがもうけられていた。
聴き手の想像にあずけるためにも、ナレーションに感情を込めない。これは、長年ひとり芝居を続けている、イッセー尾形さんの演技にも通じる。
イッセーさんは、キャラクターを演じる際には、身体の動きに集中し、気持ちを作ろうとかは考えたことがないと話していた。
06 May 09